ここではまずヴィーコの歴史の周期を西洋史に当てはめて見ましょう。

(1)人民の時代から野蛮時代へ-古代ギリシャ・ローマ

西洋史はだいたい高校では古代ギリシャとローマ史から始まりますが、この周期はヴィーコが検証していますので、ここではギリシャの末期、即ちヴィーコの周期でいうと人民の支配から野蛮時代への移行期から始めたいと思います。つまり下の図のオレンジ色のところにあたります。

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ギリシャは紀元前621年のドラコンの改革や594年のソロンの改革を経て貴族による支配、すなわちヴィーコの英雄の時代から民主主義、すなわち人民の時代へと移行します。一般に紀元前508年のクレイステネスの改革が民主制の開始だとされています。古代ギリシャの民主主義は紀元前5世紀後半のペリクレスの時代に黄金期を迎えるわけですが、この時代、同時に扇動政治家というものが登場します。ここで、ギリシャは帝国主義にはしり、勝利が奴隷をもたらすというので人民もこれを支持してどんどん戦争を続けます。ソクラテスなどこういう無節制な政策に反対しようとする人は処刑されてしまいました。紀元前399年のことでした。この無制限な拡大が国家を疲弊させ、ついに紀元前4世紀の中頃にはアレキサンダー大王の支配下に下ることになってしまいます。つまり無制限な拡大によってギリシャ文明は外から破壊されたことになります。

一方ローマも貴族制から人民の支配へと移り、共和制を達成しますが、これも収まりが付かなくなり内乱状態となり、結局この状況を治め秩序を回復できる人に権限を任せるしかなくなり、帝政にうつります。つまりローマの民主制は内側から破壊されたことになります。しかしローマ帝国も結局は崩壊しヨーロッパは暗黒時代に入ります。これがヴィーコの野蛮時代です。

(2)野蛮時代から神の時代へ-中世ヨーロッパ

次に野蛮時代から神の時代への移行を見てみましょう。下の図のオレンジ色の部分ですね。

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これにはキリスト教の発展の歴史が関わってきます。キリスト教は腐敗したユダヤ教を改革しようとして生まれた宗教ですが、ローマ帝国下では迫害を受けました。迫害は64年のネロのときから始まり、場所と年代によってその度合いは変わりますが、数百年続きました。そしてローマの政情が悪化して収拾が着かなくなった時、一神教であるキリスト教が国民を皇帝の下にまとめるのに都合が良かったんでしょうか、312年にはミラノ勅令でコンスタンティヌス帝によって公認され、392年には国教となりました。その後発展を続け6世紀の終わりにはローマ教会が首位権を確立し教皇制の下組織化が進み教皇イノケンティウス三世のもと13世紀に最盛期を迎えます。

ここで、武力をもち世俗の支配者であった皇帝と宗教的権威である教権を持っていたローマ法王との関係を見てみましょう。当初は武力による保護を必要としていた教皇とあまた名乗り出る皇帝のなかで正当性を得たかった皇帝との間には協調関係が成立します。800年にはフランク王国のカール大帝が教皇レオ三世によって戴冠されます。でもこの関係は徐々に競合関係に移ります。これはこの図に要約されます。

この図によると皇帝がグレゴリウス七世から波紋されることになった1077年のカノッサ事件から1303年の教皇がフランス国王フィリップ四世と争い憤死するというアナーニー事件の間は教皇が皇帝より優位にあり、その間1096年から1270年にかけて教皇主導のもと十字軍の遠征が行われています。しかしその後帝国は徐々に衰え、世俗権を争って、新しい中央集権国家というものが生まれてきます。これが今私たちになじみのあるイギリス、フランス、スペインといった国家なのですが、それぞれの国家形成過程についてはここでは省略しますが、それを要約すると下図のようになります。

(3)神の時代から英雄の時代へ-主権国家による現代国際社会の形成

これらの国家はだんだん権力を集中させ、封建国家から絶対主義国家へと移行します。その間常備軍の設置など彼らは武力による支配を達成したのでした。もちろんこれらの国々は自分たち同士でも争いました。英仏の百年戦争(1339~1543年)、バラ戦争(1455~1486年)、イタリア戦争(1495~1559年)といったものですが、教権との対立も帝国から引き継いだ形になります。イギリスでは独自の教会を設立してローマ教皇からの独立を図りました。

このように世俗の権力が分散している中、教権も分裂することになりました。宗教革命ですね。これで、こちらもカトリックとプロテスタントという二派に別れて競合することになります。このように中世のヨーロッパは世俗権と教皇権の競合の中、世俗権どおし、教皇権どおしの競合が混在して混沌とした状態となります。ここで起こったのが三十年戦争です。これは宗教戦争として始まりましたが、戦時中にその性格が変わって、1630年にウエストファリア条約によって終結した時には国民国家による争いという形になっていました。この戦争の結果、宗教的支配者はその影響力を失い、ヴィーコの英雄の時代に入ります。世界史ではこれが、現代の国際社会の体制の開幕とされています。

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(4)英雄の時代から人民の時代へ-西洋国家の民主化

次に英雄の時代から人民の時代への移行、即ち民主化の過程を見てみましょう。絶対主義国家では、国王と常備軍の仕官を創出する階級である貴族との間に政治権力を巡る競合がありました。ここで18世紀になると産業革命が起こり、社会に新しい、資本家と労働者という階級が登場します。資本家は商売をしやすいような環境を求めて、政治的影響力を強めようとし、旧体制と対抗することになります。この点では労働者と利害が一致しているのですが、その反面、利益の配分を巡って労働者と対抗関係にも入ります。国王と貴族も競合しながらも、この新しい社会階級から旧体制を守るという点では利害が一致します。そこで、この四者の間で紆余曲折しながら、徐々に政治権力が経済活動をする社会層へと移っていくのが西洋文明では民主過程となりました。それが下図のオレンジの部分です。

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その変遷は、比較的平和に民主化が行えた国、内乱や革命など国内での武力闘争を経験した国、海外への膨張主義を取った国、さらには民主化に失敗した国などに分かれました。このような違いが生まれてくるのは、国の規模や、産業化の時期と速度、国際環境や歴史的経路など民主化を行う過程でのさまざまな環境の違いによるものだと考えられます。それを以下にまとめてみました。 クリックしてみてください。

民主化の経路

このようにヴィーコの歴史の周期は西洋史にも当てはまりました。だからといって、私たちにいったいどういう関係があるのでしょうか?この周期を現代社会に当てはめてみると、中国はいま民主化過程、すなわち英雄の時代から人民の時代への移行期にあり、イスラム圏は世俗化の過程、すなわち神の時代から英雄の時代への移行期にあり、西洋の民主国家は衆愚政治化の過程、すなわち人民の時代から野蛮時代への移行期にあるという三つの移行が同時に行われているという状況にあることが分かります。西洋史では、世俗化の過程で三十年戦争という当時の歴史上それまで無かった悲惨な戦争を引き起こし、民主化の過程では世界大戦という大惨事を引き起こしました。今現代国際社会ではこれらの過程が同時に進行するという非常に困難な問題に直面しているのです。私たちはなんとしても、過去に起こった大惨事は避けなければなりません。そのために、これからこれらの一つ一つの過程を検証し、歴史からどのようなことが学べるかを考察してみることにしましょう。